カンヌ映画祭のリポーターを終えて

1当選

大型連休に入る手前の、雨の夜のこと。たんたんと帰宅した私は、いつものとおりPCの電源を入れ、目をこらしました。「第64回カンヌ映画祭 視聴者リポーター当選」のメールが届いていたのです。絶対に無理と思いつつ応募したのは4月のことでした。嬉しいことは、なぜいつも突然にやって来るのでしょうか?この喜びにも訳があるのです。わたしはずっと長いあいだフランス共和国を偲んでおりました。何かをパリに置き忘れてきたような、そんな気持がもやもやとあったのです。それにしても、当選するなんて現実なのだろうか?私は、窓をあけ雨に打たれる大島桜の葉を見つめ思いました。かつて、カンヌ映画祭の折にニースまでのフライトに乗務したことを。あの明るい海を思い出しました。

喜びと共に、それからは大慌ての毎日でした。出国は連休明けです。パスポートは、期限切れ。池袋まで走りました。パスポートセンターの事務員さんにも、注意されます。フライトが夜便でなかったら、出国にパスポートが間に合わぬという有様でした。(後になってから言えることですが。)それでも嬉しい大忙しです。新宿にユーロ交換に行き、デジカメのSDカードを買い、電車の中で時々、ちらっと思うことがありました。カンヌ映画祭のリポーター役って、何をやるのでしょうか?

2 出発

深呼吸し、5月10日、出発の日を迎えました。午前中パスポートをピックアップ。荷物を整え、部屋の掃除をすませました。最後にPCを持ったら、これで準備完了。心配なこともあります。デジタル系とはお世辞にもいわれない、つまりアナログな私です。明日からカンヌの街で、PCを使い情報配信業務をするのです。一体、私は大丈夫なのだろうか。でも大丈夫でしょう。紺碧の海が待っていてくれます。それに『出来うる限り楽しい1週間を過ごして!』との、素敵なお声がけをご担当の方々からいただいています。そして積もり積もったフランスへの望郷の思いを胸に、センチメンタルな取材旅行ともなるはずです。日よけ帽子を持って、私は扉の鍵を閉めました。

パリシャルルドゴール空港に到着したのは、朝の4時15分。成田から一緒だったクルーの同期はもういないし、ニースに乗り継ぎする日本人の姿はなく、ロビーには私一人きりでした。次のフライトまでたっぷり2時間はあります。早速懐かしの空港散策と思いきや、いきなり携帯電話がポッポと鳴り、無情にも電源が切れてしまった。たっぷり充電してきたはずなのに。ニース現地集合で、そこで初対面のご挨拶ですから、この電話がなければさ迷うこと必須です。たまたま、空港内に無料の充電コーナーを見つけ、変換プラグを荷から探し、充電が出来たから幸いです。パリ空港もすっかり変わられたのです。それにしても私の携帯ってフランスで使えるのか、とふと不安になる。

パリからニースまで、飛行時間は1時間30分です。ここから先は、フランス語メインです。前に座っている、ご婦人の一人は、ご主人がカンヌ映画祭の審査員だとか、またその隣の方は、お母様が有名な監督だとか、そんな会話が、とびかっています。5月11日、カンヌ映画祭の開会式の朝です。機内はすでに映画祭一色です。飛行機は、まだ暗い夜明け前のパリをあとに、南の方へ向け飛び立ちました。
じきに窓の外には、憧れの紺碧の海が広がりました。太陽も昇りはじめ海はきらきらしています。青の中にエメラルドグリーンがあります。朝の9時前、気温は16度、機長より、アナウンスが流れています。覗いてみると、海の上に映る飛行機の影が、私のあとをついてきているのが分かります。翼のあるその影は青い海の上で、どんどん大きくなって、見えなくなり、そして、ニースに着陸いたしました。

ニースからカンヌまでは、タクシーで入りました。荷物がなければ、バスも利用できます。バスで大体20分くらいです。さて、カンヌとは、1834年にイギリスの貴族ブルーム卿が、この町に立ち寄り気に入ったことが発展のきっかけだとか。かつて、文豪のモーパッサンがこう言ったとガイドブックに書かれています。
「どこを見てもプリンス、プリンス、プリンス族がお好きな連中は幸せである」
さて時は現在、見渡すとモーパッサンの言葉ほどに貴族的な敷居の高い印象ではなく、海に面したその街はもっと開放的な空気で颯爽としていて、とにかく気持ちがいいのです。ただ、大渋滞は想像通り。私に言わせてもらえるのなら、こうです。
「どこを見ても、セレブ、セレブ、セレブ族だったらよかったのになぁ」

着飾った往来を行く人の群れの中、黒ガラスのリムジンや優雅なオープンカーが横行しています。宿泊先にチェックインするとすぐに、私はホテルに面した通りにおりてきました。背を伸ばせば、通りの向こうに海が見えます。私は、リポーター業務のことを忘れてしまい、やしの木の下に飛んで行きたい気持でいっぱいです。帽子をかぶり風で飛ばないよう手を頭の後ろに組んで、口笛を吹き歩いていると、私の名前を呼び止める女性がいました。振り返ると、少し日に焼けたフランス人女性が私を見ています。『このカンヌで名前を呼び止められるほどに、私が有名であったとは!私は夢の中にいるらしい・・・今はまだ覚めないでください・・・』ぼんやりとしていると、目の前の彼女は、説明し始めました。今ちょうど、ホテルまで、私のカンヌ映画祭IDカードをもって来てくれたとのこと。どうりで、わたしの顔と名前を言い当てるわけであります。「待っていたのよ、よろしくね!」TV5MONDEの幹部女性は、私の肩をたたき本部へ戻っていかれました。よかった、夢じゃなかったのです。そして私は、昨日のフライトは幻でもなく、夢のカンヌも現実で、しかるに私は1週間の間は、れっきとしたリポーターであることを、エントリー許可IDを胸に掲げると、遅ればせながら、やっと認識した開会式の日、水色の空の下でありました。

3 リポーター活動

フランスの方はアクションが早いのです。私が日本で当選の喜びに踊っている間に、実はこのリポーター役、フランスのテレビ局ではことのほか続々とお膳立てがなされていたようなのです。私のほうとしては、『なるべく楽しむのである』という担当者のお声がけを勝手にこう理解していました。1週間の映画三昧、ビーチ三昧の日光浴付き、単独センチメンタルジャーニー、エトセトラ。
開会式の翌朝、気が付けば私は、TV5MONDEのテントにいました。センチメンタルにはなれません。人でいっぱいです。昨夜はこの町の右も左も夢みたいでした。夜遅くまで続くカンヌの白昼夢の続きは、大きなベッドの中で熟睡につき見られませんでしたが、夜が明けて目が覚め、現実の夢の世界に又いました。白いテントの階段をのぼりテラスに入ると、TV5MONDEの人気司会者が、手を広げて声をかけてくれました。私の役割を人気者の彼は知っているみたいです。一緒にいるところをパチパチと写真とられたりなんかして、私は皆の行動の躍動感に目をこすりました。次に社長さんが来られて「待っていましたよ、ようこそ、カンヌまで」と快活に話しかけてくれました。ご多忙の折、親愛的な面持ちで皆様話しかけてくれるのです。にもかかわらず私が、ボーっとしていると、幹部の方が気にしてくれました。「時差で疲れていませんか?happyですか?」わたしにとっては、この風景も皆さんのことも夢みたいで、それで呆然としていたのです。Happyすぎるこの躍動感に目をこすっていたのです。そして、その後もテントの中では、色々な方から声をかけられるのでした。「あなた、日本から来たリポーターでしょ!会見が始まるから取材なさいよ!早くね!」「それが終わったら、こっちね!早くね!」いやはや忙しいこと、センチメンタルは当座無理そうであります。

その日はパーティーに2箇所行って、映画を観に行ってカンヌの映画館でシネマ観賞することに感動を覚え、それから、また夜遅くまでTV5MONDEのパーティーで、そこでは目の前でレゲエミュージシャンのライブがあって、えっとえっと、と私は早朝からパソコンのキーを叩いています。無事にPCが使えているのも、このホテルのフロント嬢のおかげです。到着の日「Je suis アナログ」と相談しにいったら、部屋まで来ていろいろ設定してくれたのです。カンヌの人はおやさしいです。私は、そんな思いをこめパソコンを叩きます。気が付けば、そろそろお昼、高い天井を見上げ、窓を開けました。黒に白い線の入ったスリムな小鳥が屋根でさえずっていて可愛らしいのです。この鳥はなんという名前なのでしょうか?小鳥さん、今日の私の業務は何なのですか?
そこへ、ノックの音がしてTV5MONDE日本代表の女性が立っていました。私が携帯に出ないので、連絡事項を言いにわざわざ本部から歩いてきたというのです。
「私の携帯ときたら、フランスに着いてから鳴りはしないのです。充電してもすぐに切れるのです・・・」
と詫びたところで時すでに遅く、いらだたれて妥当と思うが、彼女はおおらかである。でも、出国前に携帯ショップで確認したら海外使用OKと聞いたはすですが、設定が間違っているのでしょうか。せめてもマニュアル持ってこればよかった。と思いつつ今後のリポータ業務では、まず一つ目に単独突撃リポーターです。昨日テラスでお会いしたTV5MONDEの名司会者のインタビュー番組「ゲストを迎えて」の撮影現場にお邪魔させていただくこと。この場合言う突撃とは、相手に対してではなく、私に対して突撃である旨ご理解下さい。二つ目としては、お優しい取り計らいで、街並み散策リポーター業務です。

かくて、私は、「さぁマリオットホテルは5階のテラスへ、女優のインタビュー風景を見学せよ!」や、「有名監督は瞬時をいそぐ。30分後に、シェリシェリビーチへ出動せよ!」や、「オレンジビーチのどこかしらにあるライオンの部屋を探しあて見学せよ!世界的大物女優が来る!」等の連絡を不安定な携帯頼りに走り回り、クロワゼット大通りを交差して有名ホテルからビーチまで、そよ風と日差しの中を行ったり来たりの毎日です。
慌てて目的地にたどり着けば、そこには又夢のような空間が広がっています。夜のマジェスティックホテルでは、月明かりの下水色と赤で縁取られたロマンティシズムにひたりきりましたし、マリオットホテルでは、やさしくゆれるカーテンの向こうに、輝く海の風景を眼下に見下ろしました。そして気が付けば、とても良く笑っていて、誰かつかまえては、フランス語で道を聞くようになりました。通りすがり、テレビ局のクルーが手を振ってくれます。「Ça vas?」 もちろん、サヴァビアンと答えます。案ずることなく、取材はことの他楽しい思い出となりました。

第2のミッションとしての街並み散策としては、クロワゼット大通りの岬から、この町で最も古い螺旋階段の町をぐるぐると登り、絶景ポイント「ルシュケの塔」でたくさん写真を撮ってきました。このあたりは、さして人もおらずもったいないくらいの素晴らしい眺めです。それから、華やいだ夢のような大通りの毎日から遠ざかり、巡礼者の巡る島まで友人と船に乗り出かけました。島の名前は、サンマルグリット島で、デュマの小説「鉄仮面の男」で有名です。鉄仮面の男は、ナポレオン・ボナパルトの実父との噂もあります。謎の高貴な人物だったそうです。島は、無人島みたいで時々バックパックを持った旅行堅気の方に会いますが、もっぱら静かなところで、野生の猫が一匹いました。低い目に茂る樹木の上では、例の小鳥が合唱していて耳に心地よかったです。ちょっと進めば逐一3方向に道が分かれていて、迷いました。目的のロワイヤル要塞には、たどり着かないままでしたが、この聖なる島で、私の心が洗われていたのなら巡礼した甲斐もありますが、どうでしょうか。結果はこれからです。

4 帰国

映画祭は、これからが本番ですが、私は17日の夜に帰国しました。この日、私はいつもより早く起きて、マルシェに行きました。マルシェの野菜や果物は、パリのマルシェで見たものよりも、つやっぽく色もあざやかで、小ぶりな形をしています。朝一番のマルシェや魚屋には、レストランの方が買い付けに来ているようです。
最後に食べ物のお話ですが、カンヌのサラダは、多彩な品揃えでした。ドレッシングが絶妙で、私はそのドレッシングと共にアボカドを一度に2個も食べました。岬で食べたココナッツのジェラート、ソワレで頂いたコース料理、ムール貝のフレンチフライ添えにデザートのショコラパフェ、たくさん食べました。話ばかりですみません。マルシェで写真を撮ってきましたので、よかったらビタミンカラーをご参照下さい。

それから、まだ一つ個人的にまだやり残したことがありました。それは、早朝の砂浜に行くこと。そこで、このフランスで暮らしていた頃のことを、センチメンタルに思うことです。朝食前にビーチに向いました。期待通りに、早朝のビーチにはぱらぱらとしか人の姿はなく、靴を脱いで白い砂浜を歩きました。さらさらと、静かな音でもって波が寄せてはかえります。あぁ、ついに待望のセンチメンタリズムのときです。

「カンヌのみ(うみ) 朝海ちどり 汝が鳴けば 心もしのにイニシエおもほゆ」

私の好きな万葉集の歌のとおり、寄せ返す波をみていにしえを想う、そうしたいのです。
その時、ワタシは遠いあの日1991年の春のこと、初めてフランスに来たときの午後、マイクロバスから降りた私を照らしてくれた、あのルミエールに再会しました。そして、私は、このときフランスに置き忘れていたもやもやしたものが、この光に揺れる私の影であることに気が付いたのです。影は私の前に立っていました。ボンジュール、私の影。長いこと待っていてくれたものです。オレンジ色のルミエールで出来た、2011年第64回カンヌ映画祭の私の影が砂浜で笑っていました。

そして私は今、東京にいます。カンヌ映画祭リポーター役とても楽しく務めさせていただきました。あの7日間のことは、もう絶対忘れられないです。帰ってきてから、中野の通りに出ると、通りすがりの人が「今日は寒いね」「今日は暑いね」と声をかけてきます。日焼けして帰ってきた私は、あの明るい影を見つけ出し一緒にいます。また、フランスに行きたいと思います。語学学習のため毎日TV5MONDEの「ゲストを迎えて」を観ています。ありがとうございました。