私がカンヌ映画祭のリポーターに応募したのは募集期間の最終日で、カンヌへの想いを綴り、駆け込むように送りました。それから数日と経たぬうちに、当選の電話を頂いたのですが、私には問題がありました。私は自他共に認める映画狂故、ゴールデン・ウィークにも一週間ほど別の映画祭に行くことになっていました。そこから帰って3〜4日で、今度はフランスへ一週間、というのが日程的に可能かどうか不安でした。しかし、そのような問題が取るに足らぬ些細な事と思えてしまうほど「カンヌ映画祭」という言葉は私にとってあまりに蠱惑的で、いつの間にか、行かなければならないと確信するようになっていました。どうにかこうにか日程の問題をクリアしたものの、準備に当てる時間が全くありません。結局出発の当日届いたレンタルの巨大なスーツケースに、慌てて服等を詰め込み、かなり大きな不安と、それを上回る期待も一緒に成田へと向かいました。
夜遅い便だったので空港のお店はほとんど閉まっていて、薄暗くちょっと不気味でしたが、機内はとても快適でゆっくりできました。機内では、日本で観ることができそうにない映画もあったので観たかったのですが、重たい荷物でバタバタ歩きまわって疲れたせいか、食事の時以外ずっと寝ていました。早朝ド・ゴール空港に着き、そこからニース空港の間もほとんど寝ていたので、ニースからタクシーでカンヌに着いたころには、長旅だったわりにすっかり覚醒し、元気になっていました。出発する前の日本はずっと雨だったので、カンヌのやさしい陽光、ほとんど雲のない青い空、眼前に迫るきれいな海が最高に気持ちよかったです。
街中に貼られているポスターや販売しているグッズ、海辺の椰子の木や歩いている人々など、目に見えるものすべてがカンヌ映画祭に染まっていてワクワクしてきます。ちなみに今年の公式ポスターは何故かフェイ・ダナウェイがモデルで、映画監督のジェリー・シャッツバーグが撮影しているようです。このフェイ・ダナウェイという人、「俺たちに明日はない」なんて名前の映画に出ていながら、ずいぶん息の長い女優さんです。
映画祭なので当然映画を観ようと思うのですが、少々ややこしい工程(パソコンに個人ID番号とパスワードを入力してから作品を予約→係りの人がいるチケットカウンターでチケットをもらう)を経て、なんとかチケットを手に入れ、いざカンヌでの初映画へ向かいます。私が最初に観る映画は「WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN」というコンペティション作品でした。入場の際は、金属探知機や持ち物検査を何度も受けてやっと入れます。そして立派な建物をのぼっていくと、GRAND THEATRE LUMIEREという、それはそれは厳かで映画的な名称の劇場に着きます。そして中に入ると、その広さに息を呑み、人の多さに圧倒されます。上映前の真っ白なスクリーンに静かに対峙しているだけで、荘厳な雰囲気に感極まり、涙がこぼれそうになりました。このような映画体験は一生に一度あるかないかでしょう。映画の内容は、残虐な少年犯罪で逮捕されてしまう息子とその母の物語で、お世辞にも気持ちのよいストーリーとは言えないのですが、この空間で映画が観られた幸福感に包まれて劇場を後にしました。正直に言って、映画を観る上で邪魔以外のなんでもない途中退場をする人たちのことも、さすがカンヌと感心しながら見つめていました。
メイン会場の外では、夜の上映の際に歩くスター達をいい場所で見るために、昼間のうちから場所取りをしている人がたくさんいます。そして夜になると、まっすぐ歩けないほど混雑します。私はカンヌのレッドカーペットが、某国のように緑ではなく輝くように美しい赤であるというだけで、羨望の眼差しを送ってしまいます。
私が泊まっていたホテルは映画祭の会場から近く、部屋もきれいで、そこで働く人達も親切なのですごく助かりました。私の部屋が道路に面していたということもあり、路上でアコーディオンとバイオリンを演奏する二人組の男性の奏でる音楽が、朝からよく聴こえて心地よかったです。映画祭のシーズンだからなのか「ニュー・シネマ・パラダイス」や「ゴッドファーザー」、「リリー・マルレーン」など古今東西の映画音楽が演奏され、そのクオリティの高さに癒されていました。
アコーディオンといえば、今イランで拘束されているジャファル・パナヒ監督が去年撮りあげた、上映時間8分間の稀代の傑作短編「アコーディオン」というものがあります。モスクの辺りでアコーディオンの弾き語りで生計を立てている兄弟の物語でラストの大らかで感動的なセッションはハワード・ホークス作品を観ているような幸福感です。カンヌ映画祭の監督週間というセクションでは、オープニングセレモニーで、アニエス・ヴァルダやミシェル・ピコリ、オリヴィエ・アサイヤス等が登壇し、パナヒ監督の解放を訴えていました。監督週間の作品を上映する客席の真ん中あたりには、パナヒ監督の名前が書かれた紙が置いてあるリザーブ席がありました。いつでも来られるようにということでしょう。拘束されたことにより去年のカンヌ映画祭の審査員を欠席したのが記憶に新しいですが、状況は全く変わっていないようです。しかし彼の長編作品が今年のカンヌで上映されたというのですが、どうやって撮影し、どうやって持ってきたのでしょうか。映画作家にとって自国に表現の自由が無いというのは、なんと窮屈で不幸なことなのでしょう。
マジェスティック・バリエールという超豪華なホテルで「カンヌへようこそ」というテレビ番組の収録があり、見学させてもらうことになりました。そこは、ジュード・ロウ、クロード・ルルーシュ、ダルデンヌ兄弟など錚々たる顔ぶれで、見ているだけで興奮してしまいます。帰国後、その時の放送をわくわくしながら見てみると、日本語は付いておらず、何を言っているのか結局分からないので、ちょっと残念でした。
この放送のゲストとして出ていた、ジャン・デュジャルダンとベレニス・ベジョが出演する「THE ARTIST」はめっぽう面白い作品でした。これも満席のGRAND THEATRE LUMIEREで観ることができて感無量でした。モノクロのスタンダードサイズという、映画の黄金比率で撮られた本作を、2300人収容の巨大な劇場で体感できる喜びは、筆舌に尽し難いものがあります。1920年代後半、ハリウッド映画がサイレントから、音声の入るトーキーへと移行していく時代の、スターやプロデューサーの悲喜交々を、ユーモアや映画への惜しみない愛を交えながら描いた、映画業界のバックステージものです。この作品がユニークなのは、サイレント時代の劇中劇が無音なだけでなく、役者たちの普段の行動もサイレントで描かれていることです。要するにこの「THE ARTIST」という映画全体がサイレント映画になっているのです。このハリウッドが最も華やかだったころの物語をアメリカ人ではなく、監督もキャストもフランス人でフランス資本の純然たるフランス映画として存在しているという粋な所が、私は堪らなく好きです。これは、フランスからのハリウッド・クラシックへのラブレターのようなもので、こういう作品にケチをつけるなどという無粋な真似は慎まなければならないと思います。ストーリー自体は「スター誕生」のようであり、映画的引用も、チャップリンの「犬の生活」やオーソン・ウェルズの「市民ケ―ン」、D・W・グリフィス作品のクライマックスでのカットとカットがぶつかり合うようなモンタージュ、「モロッコ」のディートリヒのように鏡にメッセージを書く…等、枚挙にいとまがありません。ちなみにこの作品、男優賞とパルム・ドッグ賞(名演技をした動物に贈られる)を受賞していますが、この映画のスタイルから考えると演出の力に依る所が大きいのではないでしょうか。
今回のカンヌで一番緊張したのは、ユニフランスの会長さんとの30分に及ぶインタビューだったかもしれません。私のような素人の日本人が、最近のフランス映画についてのいくつかの質問にとても穏やかに丁寧に答えてくださったのが印象的でした。頭が真っ白になって、何を喋ったか自分でもよく覚えておりませんが、最後の最後に会長さんに好きな映画を聞くと「ペペ・ル・モコ(望郷)」と仰いました。そこでラストのジャン・ギャバンの様に「ギャビー!!」と言うと笑ってくださいました。
まだまだたくさん映画は観ていますし、出会った人や、出来事などもありますが、際限なく続いてしまうので、このへんにさせて頂きましょう。
カンヌで重くなったスーツケースを転がしながら、タクシーでニースへ。ニースからド・ゴール、ド・ゴールから成田は、相当疲れていたのか、機内で映画を観るエネルギーなど無く、ほとんどずっと寝ていました。帰宅して数日は常に眠く時差ぼけのようでしたが、次第に日常へと帰っていきました。
カンヌでは、今まで見たことのないぐらい美しい建物やビーチのそばでおいしいご飯を食べ、役者さんや監督さんを間近で見て、素晴らしい環境で映画を観るという、せわしない優雅さであっという間に時間は過ぎていきました。恥ずかしいぐらい月並みの表現ですが、カンヌにいた一週間は夢のようでした。夢が覚めるのは寂しいものですが、最高の思い出と経験ができました。今後の映画との向き合い方、或いは生活そのものにプラスになるものを得たと確信しています。
最後になりましたが、私のようなただの映画狂をカンヌ映画祭という映画の聖地に連れて行ってくださり、関係者の方々には大変感謝しております。ありがとうございました。